ハッピーエンド

精神科通院中。なんだかんだ生きてればそれでいいんじゃないですか。

11 - 嫌いではない自分でいる

 

あけましておめでとうございます。

なにを書こうか考えているうちにここでの挨拶が遅れてしまった。

読んでくださっている方、本年もよろしくお願い申し上げます。

 

専門学校を退学し、現在はフリーター。

この生活も4ヶ月目になって、それなりに毎日暮らしている。それでもこの生活に慣れていいとは思わないし、これでいいとは思っていない。ただ、抜け出すための“何か”をしていないのも事実だ。

学校を辞めたとき、自分のもっていた夢がひとつ消えた気がする。あの学校で学んだことはなくならない。活かしていけることもたくさんあるはずなのに、全部、何もかもなくなって空っぽになってしまったように感じた。わたしには何もない。何も残っていない。自分は好きなものに関わって生きていけない。本当はそうではないはずなのに、そう感じてしまった。

 

だからなのか今、“これ”といってやりたいことがない。わからない、自分がどうやって生きていったらいいかがわからない。

 

でもどうせなら、飽きないことがやりたい。嫌いではないことがやりたい。曖昧な表現だ。だけど、嫌いな自分でいるより、嫌いではない自分でいたほうが生きやすいように、嫌いではないことをやっていたほうが生きやすいに決まっている。

なんとなくで決めたことや、焦って決めたことをわたしは続けられる自信がない。思い入れがないものに流されるままに生きて楽しいわけがない。そうやって自分の意志かどうかわからないYESはきっと正しくない。

 

今、この状況から抜け出すための“何か”をしなくちゃいけないのは事実だ。だけど、自分が本当に正しいと思うものを貫くことも大事だと思う。焦らずに確実に。そんな2019年にしたいと思う。

 

おわり。久しぶりに長々と書きました。

読んでくださっている方、ありがとう。

 

10 - 9月末

 

本日付けで専門学校を退学した。

 

どう頑張ってみてもいつもキャパオーバーを起こす。どううまくやろうとしてもいつも通えなくなる。ちゃんと自分を持ってやるって決めてもどうしてもまわりの何気ない一言に左右されすぎる。

 

夏休みの途中から悲しいことがあって、夏休みが明けて知り合いから届いたスマホの画面の中の本当かどうかもわからない文字列に頭が混乱し、学校に行けなくなった。部屋にずっといて、ご飯も食べずに朝も昼も夜も関係なく、ぼーっと天井を見つめていた。どうしたらいいかがわからなくて、でもどうしようもなくてただただ溶けるように毎日毎日生きてた。

 

“やめたくなかった”と言えば嘘になる。ただ、“やめたかった”と言っても嘘になる。微妙なラインだった。だけど、出席率は進級ラインをきってしまったし、3回目の同じ学年は繰り返しができない。

「もう少し頑張ればよかったのに」とか「もったいない」とか、そんな言葉たちはいらないし、わたしの人生に何も知らないくせに口出しできる資格なんてないだろ、と思う。でもそうやって思う人たちの気持ちが全然わからないわけじゃない、わたしだってそうやって思う部分はたくさんある。

だからといって、実際にそうだとしても「しかたがなかった」とも言われたくないし、「体調が悪かった、病気が悪化した」とそれの責任にもしたくない。

わたしがきっともう少し勇気を持って頑張れたら、わたしがもう少し“わたしはわたしだ”と言える強さがあったなら、こういう選択はしなくてもよかったかもしれない。何かや誰かの責任にすればラクなのかもしれないけれど、そんなことはしたくない。責任は絶対にわたしにある。

 

これからどうするか、まだ何もかも決めていない。長いバイト生活になるのか、どこかに就職するのか、一人暮らしをするのか、泊まり込みでバイトに出かけるのか、いろんな選択ができる。ただ、今日の診察で「1ヶ月2ヶ月3ヶ月1年でどうにかできるようなことじゃない大きな問題を抱えてる。いきなり100にはなれないし、部品交換みたいにすぐによくなりました、にはなれないから長い目でみていこうね」と、いつも言われることを、いつもより念入りに言われてしまった。また言われてしまったと思って泣いてしまった。知らない間にいつも焦っているんだろうな、と思う。人生は長いと思って、ゆっくり楽しめたらいいなと今は思う。

 

わたしはわたしでしかないし、いつでもちゃんと自分の気持ちを大切にして頑張っていけたらと思います。

 

おわり。ありがとうございました。

9 - 揺れる

 

わたしは精神科に週1で通っている。カウンセリングではなくて主治医ときちんと話をする。話ができないと思ったときは文章にして書く。そんな生活を続けて、学校に復学して、1年半になる。

 

「できることや話せることは増えてる。」と言われるたびに嬉しいような、寂しいような複雑な気持ちになる。このまま苦しいまま、“ここ”にたたずんでいたいとは思わない、だけどもし、わたしがこういう状況だからこそ優しくしてくれる人ばかりだとしたら“ここ”から抜け出す勇気はまだわたしにはない。

まわりを信頼していないわけではない。だけどきっとどこかで捨てられていきそうな、どこかで嫌われそうな、そんな怖さを感じてる。

だからこそ揺れる、よくなりたいとよくなるのが怖いのあいだで揺れる。だからこそ、診察を逃げ出したり腕を切ったりしてしまう。そんな自分も嫌いでひたすら自己嫌悪の波にのまれてまた問題を起こしての無限ループ。なんでこうなるんだろう、なんでこんなめんどくさい人間なんだろう、なんでこんな迷惑ばかりかけてしまうんだろうって思う。そういうときはわたしが1番それを思ってるし、わたしが1番苦しい。

 

自分の気持ちを、話せないけど文章にして書くことがまだできないときもあるけど、1年半かかって少しずつできるようになってきて、わかっているようでわかっていないことや、できているようでできていないこと、今まで逃げてきてなんとなくはぐらかしていたことが表面に出てきてしまっている。

もうどうにか認めるとか、どうにかキッパリやめるとかではなく、そういう気持ちを自分の中でうまくまわして、うまく付き合っていくやり方を手に入れたい。

 

いつもブログを打ちながら(まだまだ時間はかかるな)と思っています、今回も。

「いろんなことが終わったらホッとすると思うよ」って主治医のときどきでてくるパワーワードを大事にしながら、今日も生きていきたいと思います。

 

 

おわり。

8 - 「ヘッドライトの光は手前しか照らさない」

 

毎日毎日生きていて、どれだけつらいことがあっても、どれだけ楽しくて笑ったことがあっても何事もなかったかのように明日も明後日もやってくるし、誰かが死んだニュースと誰かが生きてるニュースが同時にはいってくる。絶望も希望も紙一重なんだなって実感する。そんな中で生きてんだなって少しだけ悲しくなる。

 

もしわたしが今死んだら誰かが悲しんでくれるだろうか。誰かが泣いてくれるだろうか。それとも嬉しくて笑う人ばかりだろうか。何も知らないで「あの人は優しい人だった、なんで…」と当たり前のセリフを誰かが吐くだろうか。

でもそうやっていろんなことを言った人たちでさえ、1日経てば全部忘れる。もっと言えば1日経たなくても全部なくなる。何もかもなかったかのように毎日みんな続いてくし、続けていく。所詮人ってそんなもんなんだなって感じる。わたしって誰かにとって大切な人だったっけなって感じる瞬間ばかりが巡る。

 

だからこそ頑張りたいことっていっぱいある、だからこそ誰かの力になりたいとも思う、だからこそ生きてるだけで精一杯になっちゃうことっていっぱいあるんだと思う。だけど頑張れていないことなんていっぱいある。自分のやったことだけが正義なわけではないから、それが正しかったかわからなくて「ありがとう」って言われても信じれなくて悲しくなってしまうことだってある。死にたくなるし、腕も切る、何かに逃げる。

 

だけど生きてかなきゃいけない、毎日続いていく。どれだけ逃げようとしても逃げきれなかったらいつでも明日はくる、夜は明けるし朝もくる、いつまででも生きてる。

もう少し頑張ってみようかなってことばかり、だけどもう少しがいつも難しい。それの繰り返しだなって思う。

 

ここまで書いてなんだかよくわからなくなっちゃったので終わり。生きていきます、たぶん。

熱中症にはお気をつけください。

 

 

終わり。

 

7 - 嫌なヤツ

 

特別な“何か”が原因ってことはいつもあまりない。おちるときは突然で、1日の中でもそれはおきてしまって、まわりはきっとついて行けてないと思うし、迷惑をかけてしまっているんだろうなとも思う。わたしの中だけの問題なのに、誤解を招いてしまっているかもしれないなとも思う。あからさまに態度にでてしまうこともあるから最低なヤツだなと思われているかもしれない。

 

要するに今は余裕がない。なにもかも手付かずでいっぱいいっぱい、こんなときは何もかも投げやりたくて、何もかもやめたくなる。だけど本当は投げやりたいって言ってる自分が弱いだけだろうし、何もかもやめたいって弱いフリしてなんとか息をしてるだけなんだと思う。わたし自身が弱いだけで、私自身がもっと頑張ってもっと変われば、何もかもうまくいくんだと思う。

 

こういう考えになってしまったときって一瞬でもいいから逃げたいし、諦めたいし、どうでもよくなりたいから、腕を切ったり、薬を飲んだら、アルコールに逃げたりしてしまう。だけどそれは本当にその場しのぎで一瞬で何も解決には繋がらない。わかってはいても、そこに逃げてしまうし、弱い自分に勝てなくて、そんな自分も嫌になる。

 

0か100ではないことも、すぐにはどうにもならないこともわかっているけれど、それでもやっぱりそんなことを考えてもうまくいかないときはいかないな、って、そんな昼間。

 

 

梅雨の晴れ間だとは思いますが、熱中症にはお気をつけて。

6 - 好きだからの葛藤

 

何が正しいとか、何が向いてるとか、そんなのやってみなきゃわからないし、結果が出るのなんてはるか先のお話なわけで。

好きなことを一生懸命続けていくのはとてつもなく難しいし、何のためにやってるかわからなくなるし、「アレ、何でここでこんな勉強してるんだっけ」って考えなくていいこと考えて、ひとつうまくいかなくなると何もかもうまくいかなくて逃げ出してしまったりして、それに対してさらに何でこんなことしたんだろうって自己嫌悪になって、無限ループみたいな。

 

わからないな、1年やっても、1年休学しても、死のうとしても、腕を切っても、薬を飲んでも。1年生にふたたび舞い戻っても。

でも「なんでこんな勉強してるんだっけ」で簡単にやめれることじゃない。ワガママだしいつまでもしがみついているのはよくないなんてことはわかっているけれど、それでもやめたらとてつもない後悔に襲われること、それはもう目に見えてる。やめたくない。

 

こんなことを書いているけど、心は意外と冷静で、だけど、やっぱりそれなりに頑張れない自分にはモヤモヤしていて。まわりからみたら「頑張ってる」になるのかもしれないけど、どこかそれを認められない自分がもう1人いて。

 

理想が高くていつもそれをみて頑張れるってすごくかっこいいけど、そこを目の前にしてそこまでたどり着けなくて、“わたしって全然ダメじゃん”って思ってしまうのは0か100。0になることはもう何回も繰り返してきて、まだなってしまうときもある。もちろん100になりたいし、それを目指すのもときには大事だけどそればっかりをみていたらそりゃ苦しくなるし、続かなくなる。50や60でもOKと、自分を認められる心を持ちたいと思う。

 

ダラダラと書いているけれど、ヘモグロビンはなかなかよくない値まで下がっているみたいだし、主治医からみてあまりよくない薬をODしたみたいだし、わたし自身もまだまだです。でもまだまだだからこそ、ここから這い上がるつもりでいるし、絶対にこのままではいないです。いつ死ぬかわからないし、いつ自分で自分を殺すかもわからないけど。ありきたりだけど、頑張ります。

 

 

いつものごとく、まとまりがなくてごめんなさい。

 

おわり。

5 - いまの気持ち

 

「専門学校は自ら勉強しにいくところ」

わたしもそう思う。だけど、約2ヶ月たって精神的なゆらぎがでてきてしまったわたしはきちんと毎日行くことができていない。こんなんならやめればいいのに、っていつも思う。だけど、わたしもまわりもわたし自身が納得しないとやめれないことを知ってるから、そんな簡単にその「やめればいいのに」を言い出せない。

 

主治医も、学校の先生方も「焦らなくていいよ」「申し訳ないけど、そんなすぐにできるわけないと思ってるから大丈夫だよ」「まだ2ヶ月だぜ?」って言ってくれる。でも、心の不調は誰の目にも見えない。リストカットもODも見えないし見せれるわけがない。いくらわたしが「甘えじゃない」「必死だ」って叫んでもまわりが甘えだと言えば甘えだと思うし、休んでしまえば、やる気がないと思われる。そうやって思ったらやっぱり焦る。けっきょく結果が残らなきゃ誰も認めてくれない。頑張らなくちゃが積み重なって楽しいとかいう感情もどこかに行ってしまって、結果がでない自分のことを嫌いになって否定して、家から出られなくなる。毎日毎日生きてるけれど、これが正しいと思って生きてない。間違ってると思う。

 

言わせてみれば全部わたしの問題だと思う。わたしがちゃんとすれば、ちゃんと学校に通えば、もっと精神的に強ければ、腕なんか切らずに貧血にならなければ、ODなんてしないでノートに向かえば、ただそれだけ、わたしが頑張ってないからダメなんだよな、と思う。だけどわたし自身でどうにかできないから、主治医のところにも行くし学校の先生方にも相談してる。けっきょくまわりのたくさんの人を巻き込んでしまっている。苦しい。「100もらったから100で返す必要はない」と主治医は言ってたけど、それでもまわりのことを考えたらそれなりに大人にちゃんとなって100で返さなきゃいけないんだろうなと思う。

 

いつも堂々巡りだな。わたしは甘えてる。とにかく頑張ります、今はそれだけ。

 

 

 

終わり。